何気なく時計を見ると、深夜の十二時を少し回ったところだった。
どう考えても働きすぎだろう、とため息をついた視線の先にあった週刊誌を手に取ってパラパラとめくる。
グラビアアイドルのきわどいカラー写真に、芸能人の下半身ネタ。そして、
「42歳・高校教師、地下鉄で教え子に痴漢、逮捕!」
の見開き記事。
もう何度、この手の記事を目にしただろう。かといって、職員室で話題にされることもない。飲み会の席で、セーラー服が好きで教師になったのだ、とこっそり明かした同僚もいるくらいだ。この悪癖はなくならないだろう。
世間とか社会とか呼ばれるよく分からない、とにかく大きな存在の中において教師というものは、職業の一種ではなく、白人とか黒人とかいうもので区別される人種のようなもので、「聖職者」と呼ばれることもあるらしい。
聖職者か。
フンと鼻白む。
聖職者が痴漢で逮捕か。
窃盗、盗撮、暴力、暴行、差別。
どうやら、近頃の聖職者というものは、犯罪の限りを尽くした者のことを言うらしい。
手にしていた週刊誌を棚に戻し、コンビニを出る。
打ち合わせという名目で校長のお供をさせられた。料理屋、クラブ2軒とハシゴさせられたせいで腹はふくれていたので、バターピーナツとビールが二缶入っただけの袋を提げていた。
五月の夜の風は水気を含み、少しだけ肌寒かった。
一回、肩をすぼめて考える。聖職者っていうのは、もちろん、金を出して人を買ったりもしないんだろう。
15か、16。
表情のあちこちに子ども特有の青臭さがにじみ出ている。
自分の教え子たちと同じくらいの年齢だ。
コンビニの前の通りを挟んで向かい。もうすでに店じまいしたシューズショップの店舗のウインドウに軽く尻をつけ、身を乗り出すようにして少年は、いた。
肩にかかるほどに伸びた栗色の髪を耳の後ろで無造作に束ね、襟口が赤く、白いシャツに、腰には青と黒のチェック柄のシャツを巻いている。闇に浮かぶ白い光のような少年は、ぼんやりと、けれどもときどき、思い出したようにキョロキョロと眼球を動かし、通りの車の流れを見つめていた。
剥き出しになった薄い耳たぶには、銀色のピアスが鈍い光を放ち、それがウサギの形をしていたので目を引いた。いや、実際にはコンビニの雑誌コーナーに立っていたときから気にはなっていた。
背はそう高くなく小柄で、それなのに手足が余分に長く、どこか危なっかしい感じがする。その上についている顔はシャープで、少し吊り気味な瞳も、キョトキョトとよく動き、愛嬌があった。
誰か待っているのか。時折、ぐるりと首を回しては、だるそうに頭をもたげる。その動きに、彼の意思たしいものは感じられない。
信号が青に変わる。
金曜日の夜ということもあってか、人は少なくなかった。信号を渡った人の波によって少年はアッという間に見えなくなる。それまでだった。
もし、自分の学校の生徒だったとしたら、注意のひとつでもしただろうが、あいにく少年は玲治の学校の生徒ではない。もちろん、全校生徒の顔を覚えているというわけではないが、彼のように目立つ容姿の生徒を忘れるわけがなかった。
学校を出てからも同じ職場の人間と顔を突き合わせていたということもあって、いつも以上に疲れていた。父親が理事まで勤め上げた人物ということで、息子の玲治も何かと目をかけられていたが、いらぬプレッシャーでしかない。
アパートへ帰り、シャワーを浴び、深夜番組をくだらないと思いながらも横目にビールを飲み、そして2時過ぎにはベットに入るというのが、今夜の予定だ。
人の流れに身を任せて少年がいるだろう辺りの前を通り過ぎる。――つもりだった。
「ねぇ」
次の瞬間、声をかけられていた。
思いがけず、明るく弾むような声に、反応が遅れる。彼が捜していたのは自分だったのかという驚きと同時に感じたのは、不思議な確信。
カチカチと信号の点滅音。
人の波が引け、残された。
振り返ると、目が合った。白い歯を見せて笑う様子に思わず眉が寄る。
ピョン、という甘ったるい効果音が聞こえてきそうな勢いでウインドウから体を離し、その顔が目の前まで迫って来ると、あぁ、やっぱりきれいな顔をしているなと少しの間、見惚れていたが、すぐに腰を引き、
「何か」
わざと丁寧な調子で返した。目の前の少年は、キョトンと一瞬、目をまるくすると、その内にまた笑顔に戻った。
「そんな怖い顔をしないで。ねぇ、お兄さんって、どっち?」
「どっち?」
突然だ。どっちって……。と言葉を濁す。ニコニコと少年の表情は変わらない。変な奴に捕まったかなと後悔していると、
「挿れる方がいい。それとも挿れられる方?」
「……は?」
「どっち?」
ショートケーキとモンブラン。どっちが好き?と聞くような気安さがあった。彼に何を期待していたのか、あきれるよりも憤りの方が先だった。
「お前……」
「おれ?」
少し考える素振りを見せてから、あなたになら挿れられる方がいいかな。と無邪気な笑顔を見せる。そうじゃない、と苦い顔をすると、あぁ、とうなずき、まるで何かのついでのように、
「おれのことは、ウサギって呼んでよ」
と継いだ。
腕を絡められる。
それ以上の言葉はなかった。